小屋名しょうけ
小屋名(こやな)しょうけ
岐阜県高山市久々野町の北東部に位置する小屋名区。ここには古くから”小屋名しょうけ”と呼ばれるざるづくりの技術が伝えられている。明治38年頃には製造戸数50戸で1000個を生産、大正9年には65戸で3200個を生産していいたが、時代の流れと共に生産数量も減り、しょうけを作る人も減り続けた。「このままでは伝統の技が絶えてしまう」そんな危機感を持っていた小屋名の人々が思いを一つにし、平成8年「小屋名しょうけ保存会」を旗揚げした。専業でしょうけを作り続けている方(谷口又蔵さん)を筆頭に経験者から素人まで区の住民15人のが集まり、小屋名しょうけ作りの伝承・保存に努めてきた。 小屋名しょうけ保存会では、しょうけ作りを伝承・保存するための研究会を、11月から3月の農閑期に月2回行っている。会場の小屋名区公民館の一室に道具や材料を持ち寄り、ストーブを囲みながら行う。昔、しょうけ作りの作業場はどこの家庭にもある囲炉裏端であった。今は囲炉裏のある家も少なく、それを囲んだ家族の団欒も失われつつあるなか、この研究会では囲炉裏の代わりにストーブを囲み、古老が語る昔話に耳を傾け、雑談に花を咲かせ、さしずめ家族の団欒といった雰囲気の中でしょうけ作りが行われている。また、研究会にあわせて、区の子どもたちや若者を対象に講習会を開き、技術の伝承活動を行っている。平成13年3月には谷口又蔵さんが、久々野町から「ひだ桃源郷ふるさと名人」に認定されて以後、名人談義として町の依頼をうけ、保存会と共に久々野小学校へ出向き、総合学習の時間を利用して実技指導を行った。 また、しょうけの保存活動を町外にも広めようと、毎年1月に高山市で行われる「二十四日市」に出品したり、周辺市町村のイベント等に参加し、しょうけ作りの実演や実技指導を行っている。 今では久々野町を代表する伝統工芸品となった小屋名しょうけ。「先人から伝わる技術と知恵を次の世代に伝承したい」「美しい編み目をを生かし、今の形にとらわれない新しい作品をつくりたい」そんな思いで小屋名しょうけ保存会はこれからも活動を続けていく。
野菜の水きり、米上げに使用する「ざる」で、古くから飛騨人に親しまれてきた。正式には「升受(しょううけ)」と呼ばれていたものが訛り「しょうけ」となったと伝えられている。形は底と胴が一体となった浅い楕円形のもので、口のある「片口しょうけ」と口のない「丸じょうけ」に分けられ、用途によって様々な大きさがあるが、口のある「片口しょうけ」は洗った米や豆を鍋などに移しやすいようにと、明治20年頃に小屋名の人々が考案したものと伝えられている。材料はスズタケ、マタタビ、ツタウルシが使われる。スズタケは細く割り、ツタウルシを火で炙って輪にした芯に丁寧に編みこんでいく。仕上げのふちまきの材料にはマタタビが使われる。製作道具には古くなった鎌や鉈を加工して、「ツマキリ」「タケワリ」「タケヒキ」といった専用の道具を使用する。
1日に製作できるのはせいぜい1個か2個であり、材料の調達から加工、竹の編みこみなど根気のいる作業が多く、経済的にも決して割りにあう仕事ではないが、丹念に繊細に編みこまれた竹の目の美しさに惹かれる人も多く、本来の台所用具としての需要に加え、器やオブジェとしての人気が高まっている。
問い合わせ
小屋名しょうけ保存会 森 久治